寳蓮寺 年表
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元号不詳照曜山寳蓮寺は、緒方半四郎惟次(おがたはんしろうこれつぐ)が建立した寺院です。惟次は、豊後国佐伯城主の緒方三郎惟義(惟栄)の子孫で、故あって豊前国築城郡安武村に居を構えることになりました。惟次の屋敷は、安武村「寳蓮寺屋敷」という所にあり、ここにはかつて「寳蓮寺」という寺院が建っていました。そのため、日ごろから信心深かった惟次は、隣村の別府に新たな寺院を建立しようと思い立ち、得度を受けて僧侶となりました。それが当山の開基、釈浄安です。
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1648年
正保4年
第二世住職の休安の時、本願寺の末寺として認許され、寺号「寳蓮寺」を賜りました。 -
1867年
慶應3年
慶應3年、小倉(小笠原)藩の藩学「思永館」(後の育徳館)が当寺を支館としましたが、その後、豊津育徳館の開校によって閉館となりました。 -
1869年
明治2年
明治2年、第十一世住職の天従が往生すると、越路村の教法寺の了雲が入寺し、第十二世の住職に就きました。第十一世の天従には亀丸という息男がおりましたが、当時は年端もいかない子供でした。しかも、天従の往生後、ほどなくして寳蓮寺は火災にあい、境内地のすべての建物を焼失しましたので、了雲が住職となり、日夜勉励して、寺の復興に尽力しました。 -
1877年
明治10年
火災後ほどなくして本堂及び庫裏の建設計画が立てられ、本堂が明治10年、庫裏が明治33年に再建されました。その後、山門や鐘楼を寄進する篤信者も現れて、ようやく寺院としての体裁を整えることができました。
了雲には子供がなく、亀丸が住職を継ぐことになりましたが、その法名が恵了です。 -
1933年
昭和8年
昭和8年1月19日、再び火災に遭い、庫裏が全焼します。住職の恵了は、直ちに門徒総代と協議し、門信徒及び地元の人々の協力を取りつけて、わずか四か月余りで庫裏を再建させました。 -
1936年
昭和11年
昭和11年、恵了の命により、三男覚恵が第十四世の住職となりました。覚恵は宗学の研鑽に励み、本山より学階(助教)を授けられました。 -
1974年
昭和49年
昭和49年4月、覚恵の長男義行が継職し、その後、32年間に及び住職を務めました。義行は、本玄関や渡り廊下改築など、数多くの寺内整備を行いました。 -
2006年
平成18年
平成18年4月、義行の長男義英が第十六世の住職となりました。義英は、二十五歳の時に本山殿試に合格し、本山より学階(輔教)を授けられました。 -
2013年
平成25年
平成25年、城戸トミ子家より境内の隣接地(畑498㎡)を寄進され、そこに現在の納骨堂を建立しました。
寳蓮寺 歴代住職
開基
釋 淨安
第二世
釋 休安
第三世
釋 櫻雪
第四世
釋 紹智
第五世
釋 性因
第六世
釋 靈雲
第七世
釋 白應
第八世
釋 靈應
第九世
釋 靈現
第十世
釋 靈現
第十一世
釋 天従
第十二世
釋 了雲
第十三世
釋 惠了
第十四世
釋 覺惠
第十五世
釋 義行
第十六世
釋 義英 (2006~現在に至る)